たかが夢、されど夢。

あっという間に忘れてしまうのが常だけど、鮮烈に記憶に残るものもある。幼い頃に見た夢は大人になっても色褪せない。

日記は苦手だけど、夢を思い出す作業はちっとも苦にならない。

 


子供の頃みた夢のはなし

 

ふと思い出す夢。

泣きながら目覚めた悲しい夢。

赤とグレーの想い出。

 

夜、わたしは丘の上の一軒家を目指している。月明かりのみを頼りに登り坂を急ぐ。

ぼうっと唯一、丘の上で光を発しているのは我が家だ。

家族の明かりが家を満たし大きな窓を赤く染めている。

家にたどり着くと、どういう訳かいつものドアがない。途方に暮れ、ぐるりと家を一周して窓の前に立つ。

壁面一杯の大きなはめ込み窓の中に家族の姿を見る。大声で呼んでも、硝子を叩いても誰も気付かない。

カラーテレビが点いていて、皆がそちらに顔を向けている。

埒が明かないので少し家から離れ、丁度テレビを眺めるように膝を抱えて座り、大きな窓を見る。

真っ暗な背景に赤い窓。モノクロームの家族たちが浮かび上がる。父と母と弟。

彼らはやがて、カメラを持ち出し、記念撮影を始める。

当然そのなかに居るべきわたしが欠けている事を皆まるで忘れているようだ。

窓の外から戸惑いながらも、自分の所在を必死で探す。

どこにもいないわたしを探す。

 

 

 

 


白昼での夢のはなし 1991.12.

 

目の前に分厚い金属製の巨大な角柱がある。不透明な光が夢じわじわと表面から滲み出している。

ここにはきっと空気はない。もう一人のわたしはどこか別の場所から見ていて、角柱の全容を見極めようと見守っている。

必死に目を凝らすも、先ほどから滲み出した光が徐々に塊を作り視界を遮りにくる。

次第に狭くなる視野。白と黒のコントラストを頼りに角柱の角らしき部分を懸命に探る。

やがてこの不透明な光に肢体の自由まで奪われている事に気付き、気持ちは焦るが恐らくこの巨大な角柱とともに沈みゆく運命なのだと圧倒的な光に囲まれながら悟る。

と同時にもう一人のどこかのわたしが頷いた。

 

 

 

 


白昼での夢のはなし 1993.2.

 

どこかで見たはずの遥かな水平線。

一本の糸でぴんと突っ張って、空と海の接点の役割をつとめている。

ふるふる届くか届かないかのとても小心な演技で、両者を混ざらぬように保つのだ。

だからいつだって水平線は濡れもせず、かといって乾いている訳でもなく、時折つぶやくように吐き出す気体は

余剰物で、あちらこちらの沖で発見されては消えてゆく。

それらに触れたり、ましてや掴む事など誰にも出来ないのだが、風に煽られ消滅する寸前に、ヴァイオリンの音色に似た音を出すという。

強風など吹けばそれらは一斉に奏ではじめるから、最初からそれが目的だったかのように産まれた事の喜びに満ち満ちたはしゃぎようらしい。

 

 


白昼での夢のはなし 1993.4.

 

最初は小さな覗き穴。

吸い込まれる感覚で知らない場所が見えた。

白い家。中世の城のよう。お伽噺的ではない、適度な現実感。くっきりとした感度の良い映像。背面には断崖。真っ青な海。

リアルなのだが、そこにわたしは居ない。

滞在は10分間。何事も起こりはしなかったが、静止画でもなかった。

 

 

 


夜の夢でのはなし 1994.7.

 

ほんのちょっと、つかの間よりは短くて、閃光には及びもしない、そんな長さの隙間を駆け抜けて行く虫たちがいるらしい。

彼らのスピードがあまりに速い為、観察者の思考する手前で、動作を繋ぐ前段階で、接触の前々段階に通り過ぎるので、彼らを目視する事は困難だ。

産まれてこのかた、走り続けることで自らの命を保っているので、止まったその時が最期なのだ。

そこで初めて発見される訳だが、もはやその時点で彼は屍でしかなく、残像を微かに残して消滅する。

偶然を重ねて、天文学的な確率で何かに接触した結果止まってしまうのだが、彼らの寿命はすこぶる長いらしい。

とは言え、誰一人として寿命を迎える彼らを看取ったものはおらず、この虫の研究は今後のわたしの生涯をかけてのライフワークになりそうだ。

いや、そうらしい。

とんでもなく凄い責任感で目が覚める。 

 

 

 

 


夜の夢でのはなし 1994.8.

 

透明で、青く冷たい壁がわたしの目の前にある。正確には、わたしの周りをぐるりと取り囲んでいるのだ。

わたしが動けば、壁も動く。

外の様子もこちらの様子も見えるので、時々は通る人たちと会話を交わし、気にいった人とは一緒に並んで歩いてみたりする。

でもいつも最後には、このままついて行けないと、少々名残りを惜しみながらわたしは歩みのペースを落とし、さよならするのだ。

透明で血の通わないこの壁は、いったいわたしにとってなんなのか。どうして当然のように行動を抑圧するのか。

そもそも強制なんて一度もないから抑圧でも何でもないのだが、ではなぜ従っているのか。そんな矛盾した疑問ばかりが幾らも出て来る。

ここに留まることは自ら選んだ事で、たとえなんらか指示を期待して問いかけても、壁は否定も肯定も持ち合わせてないようで、居心地の良い沈黙が返答だ。

それに甘えてわたしはここにいる。

思わず愛情を覚えて打ち明けたら、予想通り気持ちは壁をすり抜けて、わたしからどんどん離れて行った。

これは、青く、血の通わぬ透明な壁なのだ。

 

 

 


夜の夢でのはなし 1994.10.

 

女の顔を持つ白いライオン。

まるで調度品かなにかのように、彼女はわたしの傍らにたたずむ。

彼女はとうとう「なすべきこと」を実行するようだ。

それがどういう内容か、目が覚めたらすっかり忘れていた。

わたしはライオンに対し、強い憧れと羨望を抱いて対峙しているが、「なすべきこと」を本当に実行して良いものか、彼女に全面的に賛同しきれない部分がある。

誇り高い彼女に、あらん限りの讃辞の言葉を思い巡らせるが、その部分が邪魔をしてなかなか口にすることが出来ないでいた。

わたしは実行を抑止する為にここにいるのか、それを悟らせまいとお世辞の言葉を必死に探しているのか、だんだんわからなくなってきた。

彼女は相変わらず黙ったまま、何も言ってはくれない。

 

 

 


夜の夢でのはなし 1995.10.

 

夕暮れ時、一面ピンクに染まった空。

白砂を踏み固めた一本道を、わたしは自転車でゆっくりと進んでいる。

無目的に、ただ空の濃密さに圧倒されながらペダルを漕いている。

道の両側には葉の落ちた街路樹が延々と続き、それ以外にわたしの視界に入るものはなかった。

どのくらい進んだだろうか、同じ景色の遥か先に明らかな変化があった。

街路樹並木になにかが垂直にぶら下がっているようだ。

やがてそれが「ひと」だと気付くのにそう時間はかからず、近づくにつれそれが枝からロープで吊るされた老人の姿なのだとしる。

葉の全くないどちらかというと華奢な枝振りの木に、痩せこけた老人がぶら下がっているのだ。

さらに進むと、その見ず知らずの老人は顎髭を長く垂らし、眠っているようにも見える。

夕暮れのピンクの名残りに頬を染め、驚くほど穏やかな表情だ。

一部始終を通り過ぎ、ゆっくりと、しかし速度は落とさず、「本当に眠っているのだ。幸せなのだ。」

と振り返らず、後ろ頭でそう思った。

また同じ風景の一本道を前に、自分の漕ぐペダルの音だけが耳に響く。

 

 

 

 

 


夜の夢でのはなし 1999.3.

 

舞台はカルトな宗教団体が経営する学校兼宿舎。一見カルチャーセンターのような建物で、教育施設らしい看板が掲げられている。

学生は年齢もばらばらの女性たち。ここでは日常生活を送るのに必要な店舗なども入っており、外に出なくても不自由なく生活を送れる仕組みになっている。

わたしは施設のガイドブックを片手に表向きは体験入学なのだが、実は施設の潜入捜査が目的で、何か動かぬ証拠を掴もうとしている。つまりはスパイなのだ。

努めて何気ない振りで歩いていると、ロビーでばったり昔の知り合いに遭遇する。

彼女はわたしが新入りだと確認すると、ここかいかに快適で素晴らしい所かを一通り早口で説明した後、声を潜めてここだけの話と、職員の中に鈴木その子の実姉がいて、

ミイラみたいで凄いのよ、とかどうでも良い事を教えてくれる。さも興味ありげに驚いて見せ、その場を逃れる。

ガイドブック頼りに進むと、大広間にたどり着く。間仕切りのないだだっ広い畳敷きで、今は授業中なのか、人影はない。

ここで皆が一斉に寝起きをし、生活をしている。私物を入れる小さな箪笥が個人のスペースをかろうじて確保しているのだった。

廊下を挟んだ真向かいに売店の並びがあったが、店員さえいないことに落ち着かない気持ちになり、そこを離れる。

各教室はすべて地下にあるらしい。ガイドブックをみても、地下に通じる入口までの案内しか載っておらず、詳細は不明だ。

案内通りに行くと、入口は重厚な鉄扉で閉じられていて、授業時間枠は自由に出入りが出来ないらしい。

 

ここから本格的に潜入が始まるのだが、地下に入ったとたんにそこの空気に飲み込まれ、ミイラ取りがミイラになる予感。

たくさんの教室を見て回った筈なのだが、目的を見失なった彷徨うスパイの見たものについては、夢から覚めたらほとんど記憶がなく、多分違う夢になったんだと思われる。

はたまた洗脳されてしまったのか。

 

  

 

 

 


朝の夢でのはなし 1999.4.

 

わたしは両親と共に、車で小旅行の最中。そとは大雨だ。

父が運転し、わたしはその後部座席、母は隣で眠っている。

二人は現実よりも少なくとも10歳以上若い姿をしていて、わたしは現実と同じ妊娠後期。

大きなお腹を抱えて、車窓の憂鬱な景色をぼんやりみている。

先ほどの激しい雨は、小雨に変わりつつあるが、道路には水が溢れ、天候は相変わらずだ。

不安を払拭するように父が解説をする。この地域では、このくらいの雨量は日常茶飯事で、地元の人は平気なんだそうだと。

言われてみれば、周囲の車はスピードを落とす事なくどんどんわたしたちを追い抜いて行く。

こんな道路でブレーキはちゃんと効くのだろうかと不安に感じていると、徐々に登り坂になって来たのか、減速しはじめる。

父はアクセルを踏んでいない。車は惰性で坂道を登っているのだ。

すると、おもむろに父が悪戯っぽい顔をしてこちらをちらりと振り返り、急に車外へ降りてしまう。

もちろん車はのろのろ走り続けている。

驚いて、隣の母を揺さぶるが、熟睡しているのか起きようとしない。

父は余裕の表情で運転手不在の車の脇を伴走する。

しかしのろのろしていたのは最初だけで、車はどんどん速度を上げはじめる。登り坂が終わったのだ。

車はすぐに父を追い越し、リアウインドウ越しに父の焦った顔を見るはめになる。

意を決したわたしはお腹を庇いながら運転席に乗り込む。

とっくに忘れた運転を必死で思い出し、なんとか停車にすることが出来た。

しばらくして追いついた父がバツの悪そうな顔でやってきた。放心して車外に出たわたしに、なかなかの運転だったと無神経な父の言葉。

怒りを抑えきれず、泣きながら父の額めがけて拳を振るった。

困った顔で殴られるままの父。額は低反発素材のようになかなかヘコミが戻らず、力なく沈み込む拳の感触がやりきれない。

何度繰り返し殴っただろうか、とても目覚めの悪い朝だった。

 

 

 

 


夜の夢でのはなし 1999.5.

 

国を挙げての大掛かりな水の祭典、かなにか。

街全体が巨大なアミューズメントパークのようだ。

わたしは多分懸賞で当てた団体旅行の観光客で、名所の橋の真ん中でツアーガイドから説明を受けている。

橋から遥か見下ろす湖は、この祭典の為に作られた人造湖らしい。

透明度が高いので湖底にグリット状に広がる施設がくっきりと見える。

殆どが店舗で、カフェやレストランが目立つ。

赤白のボーターシャツを着たウェイターやウェイトレスが、店内をスケートボードのような乗り物を使って縦横無尽に駆け回っている。

中に入ってみたい欲求にかられるが、ガイドの話によると、中に入るには、特別なパスポートが必要で、手続きも繁雑なうえ、何ヶ月も待たなければならないという。

つまらなく思ったが、今回は団体で来ているし、知らなかった自分が悪いと気持ちを切り替え、周りを見渡す。

遥か向こうに銀色に輝く橋が見え、キラキラとても美しい。

あの橋は、今自分たちが立っている橋の姉妹橋で、造りもほとんど同じだと説明を受ける。

あちらの橋の上にもやはり下の施設に行きたくても行けず、指を加えている観光客たちがいるかも知れない。

わたしたちの橋も今銀色に輝いているのだろうか。

急に強い風が吹いて、橋が大きく横揺れし、橋の欄干を思わず掴む。水面に視線を落とすと、人造湖の表面に細かいさざ波が走っていた。

今日はこういう綺麗な部分だけを見て帰れば良いんだな、と思い始めている。