日常の何気ない場面で、ふいに違和感や既視感におそわれることがある。
漠とした、思考が思うようにならない不自由な感覚に陥るとき、鮮明な色や記号、かたちたちが断片的に、夢や幼少の記憶を介して転がり出る。
見過ごせばたちまちこぼれ落ちるささいなものたちが、無くなってしまうことをただ惜しみ、拾い集めては引き出しに納め、あちらこちらと並べ替えを試みる。
無目的に、ときには作為的に言葉をつかってそれらに名を与える行為の繰り返しが、わたしにとってドローイングであったり、塑造であったりもする。
インスタレーションの手法をとる理由は、場の空気や時間の経緯、偶発的な生の物語を加味させることによって、より肉薄した心象風景に近づけると思ったから。
先入観なしに対峙した時の、作者と鑑賞者のイメージの交差する部分をわたしは知りたいと思う。
実際は逃げ水のように手に届かない答えなのだが、そこに乾きを憶え、なお制作の原動力となっているのかもしれない。